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誕生から400年 『琳派』

こんにちは。

久しぶりの更新です。 早いもので2015年もあとわずかですね。

今回は、今年で誕生からちょうど400年の記念の年をむかえた『琳派』について調べてみようと思います (^ ^)

琳派とは、本阿弥光悦と俵屋宗達がおこし、その100年後には尾形光琳、乾山の兄弟が現れ、また100年後に酒井抱一が継いでいった日本を代表する流派として認知されています。

彼らに直接の師弟関係はなく、宗達を光琳が、光琳を抱一が、それぞれ私淑(直接教えを受けず、ひそかに師と仰ぎ、模範として学ぶこと)し、

その意匠を取り込み、自分の芸術として発展させていきました。

その時代の天才画家が100年ほど前の天才画家が描く絵に感銘を受け、個人的に尊敬し、模範として作り上げた作品を、そのまた100年後に別の天才画家が模範とする…

それだけの長い年月をかけて師弟関係なく、個人的な尊敬で受け継がれてきたことが、珍しく、奇跡的なように思います。

先月まで京都国立博物館で開かれていた琳派の特別展覧会にも展示された、3人の風神雷神図屏風は、宗達、光琳、抱一でぱっと見た感じには大まかに同じですが、

細かい部分に違いがあり、とても興味深かいです。 宗達の風神雷神図屏風と光琳のそれとぴったり重なり、敷き写しによるものと言われています。

次の抱一は、光琳のものを見て描いたもので、本家本元の宗達画を見ていなかったとされているそうです。

一つ一つの作品がどのように描かれたかを知るだけでも面白いですね。

 

今回はこれで終わりにします。 2016年も美術品の極をよろしくお願いします☆

六古窯~信楽~ 

こんにちは M美です (^-^)♪ やっと梅雨明けしましたね!

今回は信楽焼について調べてみました。

信楽焼の歴史についてですが、信楽焼は、滋賀県信楽町を中心に作られた近畿地方を代表する窯地です。

天平14年、聖武天皇が紫香楽宮の屋根瓦を焼かせたのが始まりとされています。

当時は壷や鉢の日用品を中心に制作されており、室町時代、桃山時代に入ると茶道の始まりとともに茶人に愛され、茶道具に使われるようになりました。

桃山時代の信楽陶器を代表する水指として東京国立博物館に収蔵されている「一重口水指」(柴庵)があります。

こちらは千利休が所持していたと伝えられているそうです。

こんなにも歴史の古いものが残っていて、しかも誰が所持していたかがわかっているなんて昔の人々の物を大切に扱う気持ちには驚かされます。

 

私が信楽焼に持つイメージは素朴でざらざらした質感ですが、信楽焼にはこのような特徴があります。

・釉薬をかけずに焼き、灰が溶けて自然に釉薬をかけたようになる

・焼成することにより表面が赤くなる

・薪の灰に埋まる部分が黒褐色になる 信楽特有の土味が素朴で暖かい情感を出しているんですね。

 

そして信楽焼といえばやはり真っ先に思いつくのがタヌキの置物! とぼけた顔をしていて愛嬌がありますよね。

憎めないこの姿かたちは「八相縁起」と呼ばれる縁起を表していて、身につけているもの一つ一つにちゃんと意味があることを最近まで知らなかったのでちょっと驚きました。

このタヌキ像は京都の陶芸家、藤原鉄銕造が信楽に移り制作しはじめて信楽の顔となったそうです。

そして昭和26年、昭和天皇が信楽を訪れた際に旗をもったタヌキの置物たちが沿道に並んでお迎えしたことにより全国に知られるようになりました。

信楽焼の代表作家、古谷道生は信楽焼と伊賀焼を作陶し、窯の研究にも励んでおり、信楽と伊賀に生涯で30基もの穴窯を作ったといわれています。

築窯の名人でもあり、新しい信楽焼、伊賀焼の探求に尽力した作家として広く知られ、「穴窯―築窯と焼成」などの著作も残されています。

残念ながら54歳という若さで惜しまれながら逝去しましたが、現在はご子息である古谷和也さんも陶芸家をされています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古谷道生 作 信楽徳利

詳細は写真をクリックしてください

平城京の守り神「平城宮跡」

今回の担当はY本です。

大阪方面より実家のある奈良市へ行く時、東大阪より第二阪奈道路という高速を利用します。 生駒山を突き抜けるトンネルが開通して10年以上経ちましたが、その利便性は高速料金を支払っても利用する価値が高いと思います。

第二阪奈道路の料金所を通過すると、道沿いに四神のひとつ、白虎の絵が記載された看板が登場します。

そういえば、奈良中部から奈良市内に向かっている時に、国道24号線沿いに朱雀の看板をみたような・・・。

2010年に開催された奈良遷都1300年祭にあわせて、奈良市内の入り口四方に都の守り神のイラストの看板が配されたそうです。

東の守護神は、人工的に掘削した河川で、清い水流の象徴である「青龍」。西の守護神は、難波(大阪)へと続く道で、都にこもった邪気を逃がす道が求められた「白虎」。 南の守護神は、今も残る五徳池で、川が注ぎ込む池が求められた「朱雀」。北の守護神は、平城山(ならやま)で、竜脈とよばれる気の流れの発進地である丘陵が求められた亀と蛇の化身の「玄武」に見立てられていました。 なるほど!大阪に通じる第二阪奈道路を白虎が守っていることが納得できました。

元々四神(しじん)は、中国の神話、天の四方の方角を司る霊獣だったそうです。 東アジア・中華文明圏において、大地の四方の方角を司る「四神」の存在に最もふさわしいと伝統的に信じられてきた地勢や地相のことを四神相応と言われ、 日本では平城京・平安京が四神相応の土地とされて都が作られました。 身近に残る四神相応は、大相撲の土俵上にある4つの色分けされて房、ちらし寿司などがあります。

四神が登場する地名、組織、アニメ、ゲームがあるので、多くの年齢層に四神は知られています。 機会があれば、災害や疫病から奈良の都を守るとされていた四神たちに想いを馳せて、今は広い平地に時々古の建物が復元された平城宮跡に足を運んでみてください。 特に朝がお勧めです。もやがかかった何もない平地を歩くことはとても贅沢な時間ではないでしょうか? 冬には霧が出やすい奈良、交通機関が乱れて大変ですが、霧の中をあるいていると、違う世界に迷い込んだような感覚になります。

https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=zhcfao1o6CHo.kEy5XiCs0UZ0&ie=UTF8&hl=ja&oe=UTF8&msa=0&brcurrent=3,0×600137c578a70cc1:0×4afed9b0b9492622,1&ll=34.696179,135.790329&spn=0.098796,0.164795&z=12&source=embed

☆観葉植物のススメ☆

♪みなさんこんにちは♪

梅雨の季節でジメジメしてますね(ー_ー)

梅雨の時期、私はお家の中から、雨を眺めたりするのは好きです。 出かける時は嫌ですが・・・。

そんな梅雨の時期にお仕事ならともかく、お出かけする機会も減りますよね? お家に居る時間を楽しむためにも、お部屋に植物を置くことをおススメします♪

そんな私のお気に入りの植物は観葉植物の中でも、 よく使われてる「ポトス」です。

♡♡♡これが本当にカワイイんです♡♡♡

「ポトス」は成長したら、先を少し切ってあげます。 そうするとまたいっぱいの葉っぱが色々な方向に成長してくれるんです。 切ったモノはまたお水に入れてあげるだけで、グングン成長してくれます♪

そんな我が家の「ポトス」はそんな事をしてるうちにどんどんと増えていきました。 元気にスクスク成長してくれる「ポトス」を見るとそれだけで嬉しいです♡(*^_^*)♡

他にも「幸福の木」と言われる、「ドラセナ・マッサンゲアナ」ハワイでは玄関に置くそうですが、 なんと我が家も玄関に鎮座してるのは「幸福の木」ドラセナです♪♪

ポトスに続いて、この子も生きいきと成長してくれてます♪ありがと~♪

「幸福の木」ドラセナは大きいので白い陶器の器をお花屋さんにお願いして、玄関に合わせてます。

同じ陶器でも当店では植木鉢は置いていませんが、中にはお花等を飾れそうな鉢等もありますね。

作家の先生には怒られそうですが、工夫次第で器は色々な用途に利用できそうなものもあります。貴方だけの使い方を見つけてください。

和風やシックな感じにしたい方は、渋い陶器を使ったりするのが男性にはおススメですね。

梅雨はジトジトして嫌いですが、お家に植物を置いてあげる事で、 少しでもお外の緑の中に居る気分を味わえます。

花粉症でお花はダメですが、緑はどんなにあっても嬉しいです。

皆さんもぜひぜひ!植物をお家に招き入れてあげて下さいね~♪

 

 

~天目茶碗~

こんにちは。今回はKが担当します(o^^o)

もう関西は梅雨入りしましたね。

今回は「天目」について学ぼうと思います。

天目茶碗やぐい呑には、このお仕事を通じて始めて出会いました。 第一印象は、ポツポツした柄がなんとなく奇妙で、 でも土感がなくて光沢がとてもキレイで特別な物のような感じがするなという印象でした。

鉄を多く(ほぼ5%以上)含んだ黒色の釉薬を全般的に天目釉というそうです。 天目釉は、他の黒釉薬と違い、釉の薄い部分、例えば器の縁などが柿または飴色になります。

天目茶碗とは日本での呼び名で、中国浙江省の天目山の寺院で使われていた黒い釉のかかった茶碗を 日本人のお坊さんが持ち帰ったため、そう呼ばれるようになったといわれています。

主に抹茶茶碗などが多く、 国宝にもなっている曜変天目をはじめとして、油滴天目、禾目天目、木の葉天目 その他に、建盞(けんさん)、灰被り、黄天目、烏盞(うさん)、玳玻盞(たいひさん)などがあります。

こんなに多くの種類があるのですね。

曜変天目は、釉薬の中でも最も再現が難しく、黒い釉面に大小の結晶が散らばり、その周りに七色に輝く虹彩をもちます。 現存する3点はすべて国宝に指定されています。(静嘉堂文庫美術館蔵、藤田美術館蔵、大徳寺龍光院蔵の3点) いずれも南宋時代に作られたとされています。

静嘉堂文庫美術館蔵の曜変天目茶碗は、その3点の中でも最高の物とされています。 もとは徳川将軍家所蔵で、徳川家光が病におかされた春日局に下賜し、その子孫である淀藩主の稲葉家が代々秘蔵したことから稲葉天目とも言われます。

油滴天目は曜変天目の次に珍重されており、釉面にある班点がまるで水に浮く油のように見えることから付いた名前です。

禾目天目は、黒い釉面に縦縞の線が入り、稲穂に似ていることから禾目と、または兎の毛にも見えることから 兎毫盞(とこうさん)とも呼ばれるそうです。

木の葉天目は釉面に実際の木の葉が自然あるいは人為的に乗せて焼かれた物とのことです。

 

大阪市立東洋陶磁美術館にて、 「黄金時代の茶道具-17世紀の唐物」 特別展が開かれており、天目茶碗も展示してありました。

国宝の油滴天目(大阪市立東洋陶磁美術館収納品) 徳川美術館蔵の白天目や禾目天目がありました。

中でも油滴天目は、やはり輝きが違い、際立って美しいと思いました。 白天目は他の天目とは違い、上品な印象を持ちました。

皆様もお気に入りの天目茶碗を見つけてみてはいかがでしょうか。


加藤孝俊 油滴天目茶碗 詳細は写真をクリックして下さい!

六古窯 ~備前~

 

こんにちは M美です (^-^)☆ まだ5月とは思えないほど暑い日が続いてますね。

真夏にむけてバテないようしっかり体力づくりをしておかないといけませんね!

 

さて今回は六古窯についてです。

六古窯とは、平安時代から鎌倉時代に始まった窯で、瀬戸、常滑、丹波、備前、越前、信楽を指し、

陶磁研究者で陶芸家でもあった、小山冨士夫氏のよって「六古窯」という名称が付けられたそうです。

その中でも最も古い歴史を持つ備前焼について少し書いてみようと思います。

備前焼といえば、釉薬を使わず、土と炎だけで作り出された土味の素朴な風合いが一番の魅力とされていますね。

今まで詳しく見る機会もなかったので気づきませんでしたが、素朴さの中にも色々な表情があることを知りました。

調べてみると、景色と呼ばれるものには、「窯変」「ヒダスキ」「胡麻」・・・等々、たくさんの種類がありますね。

焼成時の、作品を置く場所によって、異なる景色になりひとつとして同じ景色はないそうです。

時間をかけて丁寧に焼かれることにより、土の持つ温かみや深みが増し、素朴ながらもひとつひとつ違った魅力を持った 作品が生まれるのは焼締めならではの備前の良さですね。

 

備前焼の歴史は古く、平安時代末期に須恵器の陶工たちが備前に移り、擂鉢や甕等の日用品を焼いたのが始まりです。

そして安土桃山時代には茶陶を制作し黄金期を迎えます。

お茶の文化と共に備前焼の芸術性が評価され、畠山記念館に収蔵されている重要文化財の「備前緋襷水指」など、数々の名品も生まれました。

しかし洋風文化の流行などにより、江戸末期から明治、大正時代と長く低迷した時期があったようです。

昭和に入ると、備前焼の人気を復活させることに成功した人物の一人に、備前焼初代の人間国宝にも認定されている金重陶陽が います。

陶陽は桃山備前を再現するために土の作り方やロクロ、窯焚きなどの研究を重ね、備前焼が日本六古窯の一つ として再評価され親しまれるきっかけを作りました。 どんなものにも流行があれば衰退もあり、それを復活させるには同等もしくはそれ以上のものを作り出さなければならない と思うと、彼の残した功績は計り知れないのではないでしょうか。

私もこれからたくさんの作品に触れて、それぞれの魅力を感じとれるようになれたら良いなあと思います。

 

 

 

 

 

リアルに出会う場所「天王寺動物園」

大阪周辺の人なら一度は遠足等で行ったことのある場所のひとつに、「天王寺動物園」があるのではないでしょうか? かく言う私、Y本も、子供のときは小学校の遠足で、最近は自分の子供を連れて、天王寺動物園にお世話になり続けています。

あべのハルカス、通天閣、高速道路に囲まれる街中にありながら、天王寺公園には植物園や美術館があり、 その中のひとつの動物園では動物たちがのんびりと生活しています。

今年で開園100周年だそうです。 大きな戦争を乗り越えて、関西の子供たちに世界の動物を見るチャンスを与え続けているのです。 爬虫類生態館、アフリカサバンナゾーン、熱帯雨林ゾーンなどで生態的展示がされているため、 座り込んでずっと動物を見ている子供や絵を描き続けている人を必ず見ます。

学校や本、ネットなどで見て学んだもののリアル(本物)に出会う経験は宝物だと思います。 私が学生時代ヨーロッパを旅行したとき、国際学生証を提示しただけで入館料が格安または無料になった美術館がたくさんありました。 世界史の授業で学んだもののリアルに直面した感動は今でも忘れることはできません。

小さいときからリアルから学ぶことを重視し、子供に対して開かれた公共施設が多いことは、その地域の学びに対する姿勢が見えるような気がします。

美術品、建造物、生物、これらは日々のメンテナンスが重要で、維持することに莫大な費用を必要としているのはわかっていますが、 これから成長し続ける子供たちに学ぶ機会を提供するためにも、子供には安い入館料を維持してほしいなと思います。

大人はちょっと高い入館料を払う代わりに「非日常」を楽しみたいものです。

天王寺動物園へのホームページはこちらをクリック

ホテルオークラ東京 建替え反対の声

♪E子が担当させていただきます♪

●今回は「ホテルオークラ東京 建て替え」についてです●

ペントハウス・スイート、ジュニアスイートなど高級感溢れる客室も多い誰もが知ってる有名ホテルですよね。 サービスも素敵で、レストランやショップも一流ホテルならではのラインナップです。

そんな「ホテルオークラ東京」の歴史をちょっとご紹介します。

1962年5月20日(本館)オープン。1973年12月1日(別館)も開業。1975年5月エリザベス女王、1986年5月レーガン大統領、1996年シラク大統領、等々の有名な 方々が利用し、2014年4月にはオバマ大統領も滞在してます。 2008年洞爺湖サミットの接遇を支援、2010年上海万博にレストラン「山里」が出店してます。

そんなホテルオークラ東京ですが、去年5月に本館建替えが発表され、 それに伴い色んな意見が出てきました。

米ワシントン・ポストは何故建て替えなのか?っと疑問の様子で、 イギリスのモノクル誌は建替えの反対ホームページを作りました。 他にもドイツ出身デザイナーのトーマス・マイヤー氏、ファッションデザイナー ポール・スミス氏等の各方面の文化人等は建替えには反対の様子です。

☆☆良ければ見てみて下さい☆☆ ⇒http://savetheokura.com/

☆☆ホテルオークラ東京サイト☆☆ ⇒http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/

 

そんな建て替えについてサイトをざっと見るとこんな感じでした。

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

~ホテルオークラ東京 本館建替え計画~

●地上38階立て・地下9階

●客室550

●敷地1.3haを緑地 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

高層ビルが建ち、一部はオフィスになる予定みたいですね♪

私も残してほしいですが、耐震とか老朽化がちょっと気になります・・・

建て替えされちゃう前に記念写真撮りに行きたいです!!

全国の国宝など 油のような液体がまかれる事件 & 京都散歩

こんにちは。

今回のブログ担当はKです。

4月ももう半分が終わりましたね。春の花木がまだまだキレイです。

桜の木が緑になってくるのを見ると、これから暑くなる季節をどう過ごそうかななんて考えてしまいます。

 

タイトルの事件、今全国で被害が相次いでいます。貴重な寺社や建造物が人の手で意図的に汚されることはとても悲しい事だとこの仕事を始めて改めて感じています。

陶器の世界にも世界、日本の歴史を感じさせる作品が残っています。

こういった歴史ある物を守って、これから先、何世代にも渡って伝わってほしいものです。

守るために、もうちょっと警備を強化してもいいのかなと思う一方、雰囲気が壊れ、参拝者に気苦労させるため、防犯カメラやセンサーをつけるのを躊躇う寺社もあるとのこと。

どちらを重視するか難しいなぁと思います。

今後被害が出ないことを祈るばかりです。

 

話は変わりますが、先日京都国立博物館に行ってきました。

狩野永徳の後継者達の特別展覧会をみてきました。

狩野派の中でも描き方が違っていて、さっきの作者はどんな描き方だったかな?と思い、前に戻って見返してみたり。

広告にもなっている狩野山楽筆の唐獅子図屏風は、最初の方の展示室で登場し、永徳の豪快さとスケールの大きさを継承して

いることがなんとなくわかります。

素人の私でもとても見ごたえのある展覧会でした。

博物館を出て、五条坂の方へ歩き、お昼を食べにお蕎麦屋さんに入りました。入ってすぐ、ショーウィンドウに並ぶ陶芸のコレクションが目に入ってきました。

頼んだ物を待つ間に、ガラスケースに並ぶ作品が気になって見てみたら、北大路魯山人や楠部彌弌の作品が並んでいて、

聞いたことはある名前に思わず「おー」と声が出てしまいました。

ベタな感想ですが、美しい作品でした。

食事に使われている食器も作家さんが作った物で、お蕎麦の鉢を持ち上げてまじまじと高台を見てみたり。変なお客だったかもしれません(^^;;

美味しいお食事と器が楽しめるお店でした(*^_^*)

 

歴史や日本の物に触れることができた1日でした。こんな日がたまにあってもいいなぁと。

歴史に興味を持って接すると、その大切さをまた感じられました。

美術品との出会い

はじめまして。新人のM美です。新学期、新生活がそろそろ始まりますね、私もそのうちの一人です。初めて美術品を取り扱うお仕事に就き、戸惑う事も多いですが毎日楽しく出勤しています。

さて、まったくの素人の私は、まずは焼き物の種類から覚えるところからのスタート。 備前焼、有田焼、信楽焼、この辺りの有名なものはさずがに聞いたことはありますが、素材や制作方法などそれぞれに特徴があり、 違いがあることを今まで知ることも無く過ごしてきました。

改めて考えると普段の暮らしの中には焼き物に触れる機会がたくさんあることに気づきました。 毎朝飲むコーヒーのカップ、食事に使う食器、花瓶などかなり身近に存在しています。

ふと自分が使っている食器はどんなものだろうと思い食器棚を見てみると白い器ばかり・・・。特に何も考えず、使い勝手の良い形を選んできたように思います。 しかし、せっかく仕事で色々な焼き物に触れているのだからもう少しこだわってみたくなりました。 同じような食器ばかりが並んでいる食器棚が今後どうかわっていくか楽しみです。

そして今の時代、100円ショップでも食器が買えたりしますが、中にはびっくりするような値段のものもあるんですね。 正直、私にはなぜそのような高額な値段がするのか、まだ理解できませんが、有名な作家さんが作られたものなどはそれなりのお値段がするのでしょうか。

たしかに人間国宝になられた方の作品を見ると、有名な方が作ったものという先入観があるからかもしれませんが、素人の私から見ても美しいと感じます。 焼き物の種類によって素朴なもの、華やかなものという違いはありますが、どの作家の方々の作品からも日本特有の美しさや魅力を伝え、 守り抜くんだという強い思いが感じとれる気がします。 そんな思いが作品に現れ、価値の高いものとして残っているのではないでしょうか。

今後も少しずつではありますが、自分なりに感じとったことをお伝えしていけたらなと思います。