粟田口焼

粟田口焼

京都粟田口の陶器。元和(1615~24)あるいわ寛永(1624~44)初年に瀬戸の陶工三文字屋九右衛門が京都に来て粟田口三条通り蹴上(東山区)に築窯し、その子庄右衛門が、助右衛門および弟子、徳右衛門らと共に製陶したのが粟田焼の起こりとされ、京焼では最古の窯とされている。しかし、記録から見ると、その開窯はおそらく慶長年間(1596~1615)を降らぬものとみてよい。主に茶入、茶碗などの茶器を焼き、特に唐物茶入や呉器手、伊羅保手などの写しに特色をだしたようである。また向付の類には錆絵や錆絵、染付併用の淡雅なものが多い。一見仁清風の信楽手もあり、俗に粟田口仁清といわれている。狭義の粟田口焼きは元禄(1688~1704)頃まで続いたようである。「粟田口」印があるがこれには二種ある。

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