古染付

古染付

古染または古染付と称されるものについては、従来ほぼ二説あると考えてよい。

1つは、古染は古渡りの染付を指称するもので、中渡り・新渡などと対称すべき名称であるから必然的に古い染付であるとする説。

もう一つは古染といっても必ずしも古渡りであることを要せず、ただ虫食があるなどその外観が古拙で、一見いかにも古い感じがあればこれを古染と称する説。

いずれにしても古染はわが国のやきものではなく、中国の焼き物であってわが国に渡来したものをいう。従来茶人・骨董商らが古染と称する実物はおおむね明朝末期の染付と認められるもので、清朝と思われるものは古染とはいわないようである。いわゆる古染めというものをみると、明朝天啓(1621~7)頃の民窯の所産特に下手物と認められるもので、あるいはさらに時代の古いものがあるかもしれないが、その数は稀少であろう。古染の品種は高砂手の花生、鶴の模様の手桶形水指、富士形・銀杏・紅葉の鉢、馬の絵の手鉢、羅漢手の反鉢、脚付の魚形あるいは半扇・結文・洲浜・木瓜など種種のものがあるが、これらの品物は中国においてはほとんど現存するものがなく、しかもわが国においては今日かなり遺存している。またこれらの古染の形および図案の中には、明白にわが国よりの注文品であるか、または日本向け輸出品としてつくられた証拠を認められるものがある。例えば富士山形の鉢、御所車の手鉢などはその著しいものである。このことから推測して、古染というものはあるいは全部が日本向けのために中国においてつくられたもので、中国人は知らないやきものであるとする説があるが、この種の下手物は中国においては民間一般の雑用品であったかた当時これを珍重するものがなく、ことごとく破砕し去って今日ほとんど一品をもみられなくなるに至ったのであろう。これに反してわが国に渡来したものは、唐物・舶来などと称して珍賞されたのはもちろんのこと、一度茶人の手に渡り種種の箱書・伝来などを付せられると、大金をもって取引されるようになり、したがってこれを珍重すること金銀珠玉にまさる風であったから、わが国には多数残存したのであろう。これと同例は茶人の珍重する朝鮮製の古い茶碗においても認められる。これらは、おおむねかつての朝鮮の農夫・労働者らの飯茶碗であったもので、朝鮮においては廉価の日用品であったので重視せず、製品もすぐに破砕し尽くし、今日残存するものはわずかにわが国の茶人の間に珍重される限られた数のみとなり、法外の市価を有するのである。なお古染の産地は景徳鎮である。

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