作家名の記事一覧

隠崎隆一

隠崎隆一 (かくれざきりゅういち)

 

~経歴~

1950年長崎県生まれ

1973年大阪芸術大学卒業

1988年第5回田部美術館大賞受賞

   「現代茶の湯の造形展」大賞受賞

1992年田部美術館「茶の湯の造形展」大賞受賞

1995年第8回MOA岡田茂吉賞優秀賞受賞

1996年平成7年度日本陶磁協会賞受賞

2004年備前焼の魅力-伝統と創造-展出品

 

~陶芸家 隠崎隆一~

大学では商業デザインを専攻していたが、制限の多い仕事よりも、陶芸は規制されることが少ない世界だと感じて備前にやってきた。

大地の強さ、やさしさ、厳しさが見え隠れする備前土の可能性を探り、轆轤をベースに、鋸などに使われている弾力ある鋼から独特の箆をつくり、土を自在に操る。窯は穴窯と登窯、その中間タイプの三基の薪窯、さらに大小の電気窯をそれぞれ使いわけている。

「焼きも造形も一体の物。機能性の高い作品より、精神性の深い作品を造りたい。古代の祭器や神器、アフリカの木製品、アイルランド地方の石の文化、ブータンやネパールの田舎にある民家に魅力を感じている」という。そんな好みを表わし、隠崎の作品には独特のデザイン性がある。

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伊藤北斗

伊藤北斗 (いとうほくと)

 

~経歴~

1961年東京都生まれ

1987年東京藝術大学卒業

1989年同大学院修了。藤本能道に師事

1993年日野市に築窯

1996年東京・日本橋高島屋にて個展

2003年日本伝統工芸新作展東日本支部賞受賞

 

伊勢崎紳

伊勢崎紳 (いせざきしん)

 

~経歴~

1965年岡山県生まれ

父は伊勢崎満

1988年大阪芸術大学卒業

1990年田部美術館「茶の湯の造形展」奨励賞受賞

1993年日本伝統工芸展日本工芸会奨励賞受賞

1995年日本伝統工芸会正会員となる

2003年岡山天満屋で個展開催

 

~陶芸家 伊勢崎紳~

伊勢崎満を父に、四人兄弟の二番目として由緒ある陶家に生まれたため自然に陶芸が自分の仕事となっていったという。

大学卒業後、窯道具だった古備善の陶板からヒントを得てつくった四方台鉢は、切れ味鋭い造形と明るい胡麻と緋襷のコントラストが絶妙な作品となり、日本伝統工芸展日本工芸会奨励賞受賞した。この受賞は備前焼では山本出に続く快挙であった。

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伊勢崎淳(いせざき じゅん)

1936年岡山県に生まれる

1961年兄、満と共に穴窯の復元と焼成に成功

    日本伝統工芸展初入選

1966年日本工芸界正会員となる

1965年築窯・独立

2002年新首相官邸陶壁制作

2004年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定

   金重陶陽賞、田辺美術館「茶の湯の造形展」茶の湯造形賞を受賞

日本工芸界理事

伊勢崎淳 作  備前徳利

http://www.bijyutsu.jp/products/detail.php?product_id=562

 

 

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安藤實

安藤實 (あんどうみのる)

 

~経歴~

1927年愛知県生まれ

1957年同画会出品受賞

1965年岐阜県土岐市陶磁器試験場次長

1967年『美濃古陶文様類集』ほか出版

1973年定林寺にて開窯

1978年岐阜県土岐市陶芸村にて開窯

1985年『染付文様類集』出版

東京・大阪・名古屋のほか中国西安博物館にて個展

シンガポールのホテル内装デザインも手がけた。

東洋陶磁会会員

 

~陶芸家 安藤實~

ガンダーラ、ギリシャ風の仏頭、中国明末清初の陶磁器や書など、内外の古美術にも目を向ける。「自然体で生きたい」とさながら絵画と書の延長として作陶している。

安藤は「器は料理の引き立て役」といい、自然のものに必要以上に手を加えるのを好まない。宮内庁御用萬屋調理師会理事長の遠藤十士夫や神田川俊郎、黒部進など多くの料理人と交流し、食と器に対する深い造詣がある。

安藤義典

安藤義典 (あんどうよしのり)

 

~経歴~

1955年岐阜県生まれ

1973年岐阜県立多治見工業高校卒業

1985年四日市市、美濃市にて陶器販売

1991年美濃大草窯主宰

安藤實に師事

1994年暁山窯にて作陶

1995年東京・玉川高島屋にて七人展

 

安藤の師は、陶芸家でもある父・安藤實である。尊敬する父の作品に憧れ、感銘を受けて陶芸界に入った。大切にしているのは「用と美」。

阿久津忠男

阿久津忠男 (あくつただお)

~経歴~

1950年栃木県生まれ

1972年青山学院大学を卒業、栃木県立窯業指導所に入所

1973年広崎裕哉に師事

1975年独立・築窯

1976年東京セントラル絵画館で展覧会(以後毎年グループ展)

1983年東京しぶや黒田陶苑で個展

 

宇野仁松

1846年10月京都に生まれた。父祖より陶業を受け五条坂に住み、初代清風与平に師事した。もっぱら美術品の製作に従事し、1885年頃から輸出貿易に着眼、欧米各国に販路を広めた。辰砂釉とマット釉に定評があり、また陶器に竹巻と応用することを案出した。

青木木米

京都の陶工。仁清・乾山と並んでわが国三大名工のひとり。

姓は青木、幼名八十八、のちに父の名を襲って、佐兵衛と改名。通称木屋佐兵衛、一説に木舎佐平、または佐兵衛・佐平。字は青来。木米・聾米・九々麟・百六散人・古器観・停雲楼などの号がある。

伊藤陶山

京都の陶工。1846年山城国愛宕郡粟田領に生まれた。幼名を重次郎、後に幸左衛門、1895年1月から号の陶山を本名とした。1863年18歳のとき、習画の師、小泉東岳の勧めにしたがって陶事に転向し亀屋旭亭に入門、続いて三代高橋道八、村田亀水、幹山伝七、帯山与兵衛、一文字屋忠兵衛、岩倉山嘉兵衛らの指導を受け、さらに広く各地の窯を見学して1867年京都の白川畔で開業。1873年山城朝日焼の復興に尽力、1884年粟田陶磁器組合長に推され、1891年かねてから研究していた本焼絵付の技法を完成し粟田本来の特質を発揮して賞賛され1896年京都陶磁器同業組合の頭取となって陶磁器試験場と伝習所を設立させた。1898年辞職、翌年6月に六月緑綬褒章を受け、さらに1912年久邇宮邦彦王から「陶翁」の号と共に金銀印を賜った。1917年六月帝室技芸員に任命された。1920年滋賀県膳所焼を復興。古希を過ぎてから洛東鏡山の麓に新窯を起こす決意をして同年9月22日開窯、その二日後に76歳で死んだ。晩年旧膳所藩の本多久信を養嗣子に迎えた。