人間国宝のタグを付けられた記事一覧

加藤卓男(かとう たくお)

加藤卓男 作  ラスター彩胡姫文花入

http://www.bijyutsu.jp/products/item/685

 

大正 6年 九月一二日、岐阜県土岐郡市之倉村に、五代加藤幸兵衛の長男として生まれる。
昭和10年 多治見工業学校を卒業。京都の国立陶磁器試験場陶芸科に入る。
昭和19年 加茂郡八百津町の服部富久代と結婚し、広島に住む。
昭和20年 広島にて被爆。昭和三〇年まで療養生活を送る。
昭和31年 日展に「黒地緑彩花瓶」を出品し初入選。このとき三九歳。
昭和36年 フィンランド政府の招聘により、意匠と技術の交流のため、フィンランドに留学。在欧中ペルシャ陶器研究のため、イラン国立考古博物館および各地古窯を訪ねる。
昭和39年 美濃陶芸協会が設立され、初代会長に就任。
昭和43年 イラン・パーレーヴィー王立大学付属アジア研究所にアッカーマン女史を訪ね、ペルシャ陶器に関する教示を受ける。
昭和44年 東京帝国ホテルロビーに志野陶壁を制作。
昭和48年 ペルシャ陶器研究のため、イランへ二ヵ月留学。イラン国立博物館の発掘調査に参加。
昭和50年 ラスター彩の研究および美濃陶芸の指導育成の功績により中日文化賞を受賞。
昭和53年 福田首相の中東訪問に際し、イラン国王に贈呈する「ラスター彩鶏冠壷」の制作を外務省より委嘱される。このとき六一歳。
昭和54年 岡山県立オリエント美術館より、ラスター彩陶壁の制作を委嘱される。
昭和55年 イラク文化省より、イラク・バクダット大学に客員講師として招聘され、陶芸の講義および制作技術の指導を行う。日展評議委員に就任。
       宮内庁正倉院より、正倉院三彩(奈良三彩)の復元制作を委嘱される。六三歳。
昭和57年 中日新聞社主催「シルクロード追想 平山郁夫・加藤卓男二人展」に出品。
昭和58年 ラスター彩、青釉、三彩にて岐阜県重要無形文化財の指定を受ける。
昭和61年 トルコ・イスタンブールの国立トプカプ宮殿博物館において「加藤卓男陶芸展」を開催。
昭和63年 正倉院へ三彩鼓胴(磁鼓)の復元作品を納める。紫綬褒章を受章。
平成 5年 朝日新聞社主催により、パリエトワール美術館において「ペルシャ陶彩の道-加藤卓男展」を開催する。
平成 7年 「三彩」において国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。
平成17年 87歳で死去。

 

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加藤孝造

1935年 瑞浪市に生まれる
1954年 日展(洋画)初入選
1955年 岐阜県陶磁器試験場工芸科主任技師
1966年 日本工芸会正会員
1969年 第1回東海伝統工芸展最高賞受賞
1971年 日本橋三越にて個展開催 以降隔年
    大阪高島屋にて個展開催 以降多数開催
1995年 志野、瀬戸黒の技法で岐阜県重要無形文化財保持者に認定
1998年 中日文化賞受賞
2007年 紺綬褒章受章
2010年 瀬戸黒の技法で、国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定

 

加藤孝造 作  志野ぐい呑

 http://www.bijyutsu.jp/products/detail.php?product_id=494

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清水卯一(しみず ういち)

1926年生まれ2004年没

京都府生まれ

1940年立命館商業学校中退、石黒宗麿に師事、中国陶磁について学ぶ

1941年国立京都陶磁試験場伝習生

1943年京都市立工業研究所窯業部助手

1945年研究所を辞職、本格的に作陶をはじめる

1951年日展初入選

1953年現代日本陶芸展で朝日新聞社賞受賞(以後4年連続)

1955年日本陶磁協会より最優秀作家賞

1960年日本伝統工芸展高松宮総裁賞受賞

1970年滋賀県湖西に陶房を移し築窯

1977年日本陶磁協会金賞

1985年鉄釉陶器で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定

1986年紫綬褒章受章。

1987年「日本工芸会」陶芸部会長就任。

1988年京都府文化功労賞受賞。「日本工芸会」副理事就任。

1992年滋賀県文化賞受賞。京都文化功労者となる。

1994年紺綬褒章受章。

1998年京都府文化賞特別功労賞受賞。勲四等旭日小綬章受章。

2004年死去。

 

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山本陶秀

山本陶秀(やまもととうしゅう)

明治39年(1906年) 備前市伊部に生まれる。

大正10年(1921年) 陶芸をはじめる。

昭和8年(1933年) 作家として独立。

昭和13年(1938年) 楠部弥弌に師事する。

昭和23年(1948年) 国指定技術保存(丸枝)資格者認定。

昭和34年(1959年) 岡山県重要無形文化財保持者認定。ブラッセル万国博覧会のグランプリ金賞受賞

昭和45年(1970年) 日本工芸会理事

昭和51年(1976年) 備前市功労賞受賞、紫綬褒章受章。

昭和54年(1979年) 伊勢神宮へ「流れ胡麻三方花入」献納

昭和55年(1980年) スペイン国王フアン・カルロス1世とソフィア王妃へ「花瓶」献上

昭和56年(1981年) 皇室へ「流れ胡麻丸花瓶」献上

昭和57年(1982年) 勲四等瑞宝章受章。

昭和62年(1987年)4月20日 国指定重要無形文化財「備前焼」保持者(人間国宝)認定。

平成3年(1991年) 備前市名誉市民。

平成6年(1994年) 歿。勲四等旭日小綬章追贈 

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三輪壽雪 (11代三輪休雪)

三輪壽雪 (みわじゅせつ) 参考品http://www.bijyutsu.jp/products/detail.php?product_id=52

 

~経歴~

1910年山口県萩焼の陶家・三輪家に生まれる

1927年家業に従事

1955年「休」と号す。対外出品活動をはじめる

1967年11代目休雪を襲名

1983年重要無形文化財「萩焼」保持者(人間国宝)に認定

2003年休雪11代目を終え壽雪と名乗る

 

現在、重要無形文化財資格保持者に認定された巨匠のなかでも、もっとも人間国宝らしい力量と風格を持つ。1941年川喜多半泥子に師事し、身近に接した半泥子の生き方に深く感銘したという。

昭和40年頃から天性の造形力を生かして、轆轤を使わない角物と呼ばれる四方作品を、土の塊から底部はそのままに面取りして制作。一方轆轤では大道土に朝鮮カオリンを混ぜた化粧土をたっぷりと使い、荒ヒビや独特の化粧土から発する紅萩をつくる。

1983年独特の「白萩」や「鬼萩」を発表し、萩焼で国の重要無形文化財資格保持者に指定され、休和に続いて陶芸界で初めて兄弟で人間国宝となった。

『鬼萩割高台茶碗』

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金重陶陽(かねしげ とうよう)

金重陶陽 (かねしげとうよう)

 

~経歴~

1896年生まれ1967年没。

岡山県生まれ。

生家は室町時代から続く備前焼窯元。父の元で作陶を始め優れた技術を身に付ける。

1955年日本工芸会設立に参画

1956年重要無形文化財「備前焼」保持者認定

 

~陶芸家 金重陶陽~

岡山県和気郡伊部村出身(現備前市)備前六姓(大饗、金重、木村、寺見、頓宮、森)の金重家の分家に生まれた。細工物の名人、父・楳陽に少年時代より学び人物、動物、花鳥などの置物を作った。大正末期から古備前の技法復興に取り組み胎土の調整、窯の構造の改革、窯詰や焼成法について研究を重ね、三歳年下の弟・素山が助手につき、土を探し徹底した土選りと足ふみで土をつくり、篩通しや水漉しをせず、数年寝かせるなど桃山時代そのままの技法を蘇らせた。

陶法も、精巧な細工物から轆轤による成形に移り、備前古来の天盤の大きな轆轤「地ロク」

を復活して使った。

又、桃山の茶陶に学び、茶人に愛された無釉の古備前の土味を出すことに成功。

その厳しく地道な努力が、備前の声価を高め、その発展につながる。

また1955年日本工芸会設立に参画、伝統工芸の復興に尽力した。

 

 

陶陽は昭和の初期から、当時衰退していた無釉の古備前の技法復興に取り組み、土を吟味し1930年頃、無釉の土味を出すことに成功した。このことで陶陽は備前の救世主となり「備前の生き神様」と呼ばれた。

「土に素直に」を信条とし、「米より土が大事」と土をかじり、良土を探し求めて田んぼを歩き回った。その結果田井山の観音で良土を掘り当てた。陶陽はこれを「観音土」と名づけ一躍ブランドにした。

また火入れにもこだわり、「土と焰」を大切にした。

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伊勢崎淳(いせざき じゅん)

1936年岡山県に生まれる

1961年兄、満と共に穴窯の復元と焼成に成功

    日本伝統工芸展初入選

1966年日本工芸界正会員となる

1965年築窯・独立

2002年新首相官邸陶壁制作

2004年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定

   金重陶陽賞、田辺美術館「茶の湯の造形展」茶の湯造形賞を受賞

日本工芸界理事

伊勢崎淳 作  備前徳利

http://www.bijyutsu.jp/products/detail.php?product_id=562

 

 

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